読みたい本はどんな本?

読んだ本についての感想と、気分で選べるようにジャンル分けをできればなあと。

『無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨の物語』ガルシア・マルケス/海外文学 無垢

[純文学]
ちくま文庫/2014年7月10日第28刷発行/
p113-191
短編集のうちの一つ。2時間あればおそらく読み切れるくらい。

[キーワード]
無垢、風

[私的なキーワード]
変貌、家族、オレンジ

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ざっくりあらすじ

砂漠の中の豪邸に、エレンディラとその祖母は暮らしていた。エレンディラは、甲斐甲斐しく、あらゆる召使いの仕事を祖母の言いつけ通りにこなしていたが、疲れ果てたエレンディラが火を始末しないままに眠ったそのとき、「不運の元となる風」が吹いて、燭台を倒し、屋敷は灰塵となった。

「可哀想に。一生かかっても、お前にはこの損は償いきれないよ」

祖母は言った。
この日から、エレンディラは祖母に連れられ、行く先々で身を売らされる。

そんなある夜、疲れ果てたエレンディラの前にウリセスという青年が現れる。明日の朝には発つからとの青年に押し負けて、エレンディラは彼を迎え入れる。
たった一夜の交友だったが、彼の無邪気さは、疲れ果てたエレンディラに開放感を与えた。そうしてエレンディラは、ウリセスに恋を与えた。

彼とはいっとき別れるが、興行の先で、二人は再び出会うこととなる。脱走の末、犬用の首輪でベッドの柵に繋がれたらエレンディラは、一つの計画をウリセスに打診するのであった。

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感想

祖母は本当に吝嗇家で、金勘定を譲らないどころか、ケチをつけるようにして従者の給料から天引きをはかる。実子のエレンディラも召使い同様にこき使い、それどころか身売りをさせる。その行いを咎める伝道僧にも口答えをする。

そんな強かな祖母であるから、物語の後半での寝言が印象的だった。

『神さま、神さま、お戻しください、昔の無垢な私に、せめてもう一度、あの愛が享けられますように』

祖母は切ない声で、歌うように言う。
昔は無垢だった。けれど、今の祖母は自身を無垢ではないと考えている。そうして、その状態を良しとしていないのだ。

この話は、最後、祖母のいいつけ通りに過ごしていたエレンディラが、祖母に反旗を翻し、ある裏切りを経て終わる。ここで、エレンディラは被害者から、加害者に完全に転換するのだ。

この、かつて無垢だった者が無垢ではなくなるという構造は、祖母と同一だと思った。すると、エレンディラも祖母のようになり、いつか自分の行いを、寝言で悔やむ日が来るのかもしれない。また、祖母もエレンディラのように生きてきたのかもしれない。

他に注目したいのは、マルケスの作品から、名前や話がいくつも出ている点。

同じ書籍の短編、愛の彼方の変わることなき死から、オネシモ・サンチェス。百年の孤独からレメディオス
世界線が同じだと感じることができるし、その話を深く読んでいれば、名前の出てきた意味を深く理解できるかもしれない。

文章としては、非常に読みやすかった。また、非常にあっさりとしている。

物凄い悲劇の瞬間、例えば家が灰塵になる場面も、それに対するエレンディラと祖母の反応も、数行で終わってしまう。悲しみを書き連ねていない。
それではエレンディラの辛さが伝わらないのかといえば、まったくそんなことはなく、終始、非常に読み応えがあった。

『破戒』島崎藤村 純文学/差別

[純文学]
1906年3月25日
443ページ
数日かけて読むことを推奨。長いが、流れが軽快。こまめに章で分かれているため読みやすい。語彙も程々に学べる。

[キーワード]
差別

[私的なキーワード]
職業、生まれ

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ざっくりあらすじ

学校の教員を務める丑松は、下宿先で差別的扱いにより追い出された人を見て、自身も蓮華寺へ引越しすることを決める。

丑松自身も、人に知れれば差別を受ける、穢多の出生であったのだ。山奥で牧夫としている父からは、決してその出生は他言するな、どんな人にも打ち明けるなと固く言い聞かされた。

けれども、同じ穢多でありながら、それを公言して本を書き綴っている猪子蓮太郎という人物がいる。丑松はその人の本を読み込んで、深く感銘を受け、交友を結んでいた。

そうして、煩悶する。この出生を、猪子先生にだけは打ち明けてしまおうか。打ち明ければ、同じ穢多どうし、今よりきっと懇意にできるはずだ。いや、打ち明けてしまおう。そう決心するも、心の奥底から父の戒めが囁くのである。

『隠せ。』


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感想

見た目にも、血にもわからないような、後天的に人為的に作成された身分で生き方が決まってしまう世界は、昨今では、少なくとも私には想像に難しい。

けれど、私が知らないだけで思い悩む人はいるのだろうし、私の軽口がもしかしたら友人知人の心をすっ、と傷つけているのかと思ったら恐ろしくなった。物語でも、丑松は事情を知らない友人から色々な言葉をうける。

そんな中で、同じ身分をもち辛い目にあいながらも、書を認め講演会を開いて奮闘している猪子先生に、丑松が深い尊敬の情を抱くのはもっともだと思った。

父親の隠せという言葉を守らねばと思う反面、言って打ち解けたいと願う心に板挟みにされて煩悶するのは、さぞかし辛くあったろう。家族以外の人間と、打ち解けることができる喜びは深い。

ただ、一点。

その猪子先生であるが、世間の逆境にも負けずよく奮闘されているとは思う。
けれども、卑劣を暴くためにお嫁さんの身分を知らない人にまで結果暴くことになったのは如何なものかとも思った。

誰かの不正を暴くのに、また誰かが暴かれて良いものなのか。そこの点は猪子先生には見えていない気がした。

『タイム・トラベラー』H・G・ウェルズ SF/ディストピア

[SF]
1985年発表

参照書籍
東京創元社 2010年6月18日 45版
173ページ、翻訳 阿部知二
冒険小説のようにさらさらよめる。早ければ2時間あれば読める。

[キーワード]
タイムトラベル、未来、ディストピア

[私的なキーワード]
統制されないディストピア

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ざっくりあらすじ

タイムトラベラーと、仮に紹介される男が、時間を先に移動できるタイムマシンを発明する。そうして、タイムマシンの存在に懐疑的な友人達の前で、自分が行ってきた未来の話を話し始める。

ずっとはるか未来では、現在で見られる動物はおらず、視認できる地上においては小人のようなエロイという種族がいるばかりであった。

彼らは、男も女も容貌が似ており、ほとんど同じ格好をしていた。性格も似通っており、子どものように無邪気で、好奇心でタイムトラベラーに近づき、すぐに飽きては離れて行く。

そんエロイのそばで未来の世界を観察して歩いていたタイムトラベラーだが、タイムマシンの着地した地点に戻ると、元あった場所からタイムマシンが消えていた。場所を間違えたのではなく、何者かが移動させた形跡が残る。不安にかられ、タイムトラベラーはエロイたちを詰問するが、彼らはタイムトラベラーに怯えるばかりであった。

そんなタイムトラベラーに、一人の友人ができる。
きっかけは、その小人が、川で溺れたところを助けたことだ。ウィーナという名の少女は、タイムトラベラーについて行くことを好みタイムトラベラーの心は慰められていった。

そうして様々なことを知るうちに、単純な小人達にも恐れるものがあると知る。それは暗闇であった。幼い子どもが夜を怖がるのかと思いきや、その恐怖にも確固とした理由があることを、タイムトラベラーは身をもって知ることとなる。タイムトラベラーも、暑さを逃れて訪れた廃墟の日陰で、エロイとは異なる生き物と出会ったのだ。

暗闇に生きる彼らは、モーロックといった。明るい場所が苦手で、タイムトラベラーのマッチの火を恐れた。白い冷たい肌に、灰色がかった赤い瞳で、四つ足で走った。草食であるエロイとは異なり、彼らの食卓には肉があった。

どうやら、モーロックがタイムマシンを隠した存在であると知ったタイムトラベラーは、なんとかして不気味な恐ろしい彼らから、タイムマシンを取り戻そうと考える。

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感想

タイムトラベラーが未来の世界を観察しながら、なぜこういう世界になったのか推測しているのだけれど、推測をした時点で、後で説が間違っていたことがわかると表記される。
そのため、読み間違えるとタイムトラベラーの説を間違えて理解してしまうかもしれない。

初期、タイムトラベラーは個人住宅の消えている事実をきっかけとして、『共産主義』と呟く。エロイたちも、男女みな様子がみな似通っているからだ。
けれど、この案を提唱した次の段落で、この考えは後に間違っていたことがわかる、と結ばれる。

それから暫くして、地下で生きるモーロックが現れて、タイムトラベラーは、この世界をこうさせたのは、資本家と労働者の隔絶がもたらした結果だと推測した。

エロイは、資本家の末路。モーロックは、労働者の末路。

エロイへの考察はこう記述される。

『地上人たちは、生活があまり保障されすぎているために、しだいに退化し、体も力も知能も一般に縮小してしまった』

そうして、さらに後から、エロイはモーロックの捕食の対象であることもわかる。これは、モーロックが野蛮なのか、それとも、エロイが知能を持たない、動物と同じという捉え方をするべきか。

さてどうか。

さらに私は二つ疑問に思った。

ひとつに、果たして労働の不必要は知力の低下を生むのか。
ひとつに、エロイは不幸か。

どちらも、私は否定的な答えを持った。

まず、労働の不必要〜のほう。

自分で生活を保障し続けなくても生きていけるとして、それが未知への好奇心を失わせることにはならないだろう。親元で庇護される子どもが執拗に虫に興味を持ったり、絵を描いたりというのは、生活の保障のために行われる行為ではないはずだ。

例えば実在した人でいうなら、尾形光琳伊藤若冲も、裕福な生まれである。(もっとも、伊藤若冲は後年、財産を使い果たして稼ぐ必要が生じたけれども)

もう一つ、エロイは不幸か。

私は不幸とは思わなかった。
迫害も、圧力もないでただ戯れて、水遊びをするというのは、それはそれで一つ幸福かもしれない。

例え、同胞が川に流されても助けない精神性であっても、それは個人を嫌ったのではなく、助けるという概念そのものがなかったのかなあと。いや、あるいは、状況そのもの自体、理解できていなかったのかもしれない。川に流されたら危険であると、理解できなかったのかもしれない。

それから最後に。
現代に戻ったタイムトラベラーが、再びタイムトラベルに出かけるのだが、一体彼はどこへ行ったのだろう。
どこへ行って欲しいかといえば、私は、また同じ未来に行って欲しいと思った。未来の、博物館からの帰路の森での出来事を、なんとかたいと、タイムトラベラーに思って欲しい。

『わたしを離さないで 』 カズオ・イシグロ 海外文学/心の証明

[純文学]
ハヤカワepi文庫 イ-1-6-51- 2017年10月18日 67刷 翻訳:土屋政雄
439ページ。わたしの一人称で緩やかに進んでいく。柔らかい。

[キーワード]
子ども、施設、臓器提供

[私的なキーワード]
人間とは、差別、どう生きるか

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ざっくりあらすじ

特殊な職業である、介護人として働くキャシーが主人公。
今のキャシーが、遠い昔に育ったヘールシャムという施設での、友情や問題を思い出すようにかたっていく。

あるとき、気の強いルースと仲良くったこと。あるとき、癇癪持ちのトミーと語らう機会をもったこと。

そんな、穏やかで、ありふれたような話と並走して、時折この世界の不思議さが垣間見える。施設の中だけの独自のルールや、時折現れて生徒の作品を持ち出すマダム。
微かな疑問はありながら、あばき立てる恐ろしさを予感する子どもたちは、施設の不思議をあえて追求することはなかった。

けれどもある授業のときに、堪え切れなくなったようなルーシー先生から、今までよりもはっきりとした言葉で、わかっていたけれど、わかっていなかったことを告げられる。

『いずれ臓器提供が始まります。あなた方は一つの目的のためにこの世に生み出されていて、将来は決定済みです。ですから、無益な空想はもうやめなければなりません』


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感想

読み始める前のイメージと全く異なる話だった。
もっと暗くて、怖くて、大きな問題として社会と戦ったりすると思いきや、話は彼らの幼い頃からゆっくり辿られる。

お気に入りの宝物の話とか、あの子と仲良くなる話とか、見て見ぬ振りをしたり友達を傷つけて気まずくなったりとか。

語り手が、懐かしい柔らかい思い出を、宝箱からあの頃のまま取り出しているような。走馬灯のように話すから、どこまでも柔らかな話に感じる。

だからこそ、最後の最後、キャシーがある人から語られる言葉に、えっ?と思った。

以下、話の核心に迫る内容になる。


心があるという証明をしようと思った。

これがある活動の目的なのだけれど、そんなの、何を今更と、私は思った。ずっと彼らの成長を追いかけ、頷いたり首を傾げて来た読者の私には心なんて問いかけるまでもないじゃないかと、思わずにはいられなかったのだ。

だからこそ、興味が湧いた。
なぜ心がないなどと思ったのだろう。これは文化的な背景があるかもしれないから、なんとも短く言えないが、それでもいろいろ考えた。

心。心ってなんだ。心があるのとないのではどう違うんだ。心無い人なんて表現もあるが、そんなの人によって見方が違う。
そもそも見えない心なのに、あるなしを判ずるのが土台無理な話じゃないか。

そんな風に疑問に思って憤ったのに、物語の彼らはそんな風には見えなくて、望みが潰えたとき、残念がる姿はあっても、涙しても、全てを受け入れるような風に見えた。

私の憤りが彼らを不幸と決めつけて湧いていたなら、人の幸不幸を勝手に判ずるのはおこがましいなと、おもった。けれど、勝手に判ずることはできないから永遠に無関係であるとは、やはり思いたくないとも思った。

『遮光』中村文則 純文学/虚言癖

[純文学]
新潮文庫 な56 3 平成25年4月25日 二刷
149ページ。薄い本。一人称の私で進められ、一つ一つの文章が短い。陰鬱なまっすぐさ。ちゃんと沈み込むような空気。野間文芸新人賞受賞作。


[キーワード]
虚言癖、恋人

[私的なキーワード]
陰鬱、世界との繋がり

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ざっくりあらすじ

そこそこ友人もいる、恋人もいる、好意を寄せてくる女性もいる青年には、虚言癖があった。ふとした折に嘘を付いては、相手からの不信をかい、それを自身も自覚しながらもまた嘘をつく。

そんな彼のつく嘘の中には、死んだ恋人の生を言うものもあった。
彼は周りに、恋人は留学をしていると、ありえないアメリカでの生活を話しているが、本当は事故で亡くなっていた。彼は病院まで赴いて、その亡骸と対面もした。そうして、そこで、医者にたのんでなき恋人と二人きりにしてもらい、縫合された小指から糸を焼き切り手にいれていた。

それから小指が入った黒いビニールをかけた小瓶を、彼は大事に持ちあるいていた。


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感想

私は大学入学前から卒業して暫くのあいだ、中村文則さんの小説を読み漁った。
中村さんの、少なくとも読んだことのある初期小説は、鬱屈した精神のそばにぼんやりと佇んでくれるようで心地よかった。特に遮光は思い入れも深い。

ただ、心地いいと言っても、それは私と同じであるとか、主人公に同調したということではなくて、世の中の、人が隠すような、言葉を濁すようなことも直視して書き綴っているふうなのが好きなのだ。愚直な素直さというか、なんというか。

さて、遮光。

まず、青年が息を吐くように嘘をつくというのがすごい。嘘をつくというデメリットなんて、おかまいなしだ。
悪事を隠そうとしてなされる嘘なら、目的のために手段として嘘を付いているから心理もわからないでもないけれど、この彼の場合は、嘘をつくことそのものが目的のようで、まったく不可思議な人に映る。

例えば、友人の女性から、『男にボールペンを突きつけられて恐ろしい目にあった』話を聞く。すると、次に友人にあったさい、おまけに話をした女性もいる前で、『ボールペンを突きつけられて恐ろしい目にあった』話をするのである。話の内容はほぼほぼ同じである。この嘘をつく直前、彼は緊張から解放されてひどく気分が良くなっていた。気分が良くて嘘をつくとはどういうことなのだろう。

こういう、突拍子のない嘘が大多数を占める中、彼女の死に触れたさいにつく嘘は、対照的にとてもわかりやすかった。

『無理やり思考を停止させるように、美紀の死について、そしてゆびについて、考えないことを自分に強いた』

この引用のあとに、彼女がアメリカで暮らす様を想像していく。これも嘘には違いないが、現実から逃れるための嘘であるから、嘘自体が目的ではない。

そうして嘘まみれで読み進めていくと、後半、意外な事実がわかる。
彼が引き取られた養父母と別れる際の場面で、養父母からこの世を生きていく手段として、そうであってもそうでないふりをしたほうがいい、と諭される回想があるのだ。これも、事実と反する行動という意味では嘘と同じだろう。素直すぎる君の振る舞いは世の中から受け入れられないだろうから嘘をつきなさい。こういうことだ。そうして実際、彼は養父母の助言に従い嘘をついて、次の引き取り先ではうまく馴染んでいく。

つまるところ、彼の嘘の発端は、この世に順応するための手段だと思ったら、意外と彼の嘘をつくという行為がおかしなものではないと、今、思えた。

それから、今回感想を書くにあたって改めて読み返したら、今の私には当時のようには響いてはこなかった。あの頃よりは幾分か生活面が落ち着いたからだと思う。
本は、読むときの心のあり方によっていくらでも印象がかわるから、面白いなあ。

『紙の動物園』ケン・リュウ 海外文学/母と息子

[SF]

ハヤカワ文庫 SF2121 2017年4月15日 発行

24ページ。日常がベースで、少し不可思議が混ざっている。難しい言葉や表現はないのですんなり読める。人との待ち合わせや電車の移動の最中に読み終える。



[キーワード]

国、母、息子、ハーフ、魔法

[私的なキーワード]

悲しみ、後悔、迫害

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ざっくりあらすじ


舞台はアメリカ。主軸の少年の実母は、中国からカタログで買われた女性。


幼いころ、少年が泣くのをあやすため、母は包装紙を折って虎を作ってくれた。母は魔法使いで、虎に息を吹き込むと虎は自由に動き回るようになり、その日から折り紙の虎は少年の相棒になった。


けれど、あるとき、現代的なおもちゃを持つ友人に、紙の虎をさして紙クズ呼ばわりされてしまう。おまけに、周りと違う容姿をさして中傷をうける。


そのときから、少年の母への気持ちは変わっていった。英語を話せない、アメリカ料理を作らない、不適切な母親への憤りが強くなって、次第に会話もなくなっていった。ずっと病気を我慢していた母が病床に伏しても、その気持ちは変わりなかった。


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感想


一つの国で育って、親族も一つの国で構成された自分にとって、環境こそ遠く感じそうなのに、その心は全くわからないでもないと思った。少数派だから、まわりとあわせたいと思う部分とか。

少数派といったって、特別なことではなくて、たとえば人より少し背が低いとか、そういう部分からくる気持ちも遠くないのでは。それが、ここでは文化とか容姿とかに表れているのかなあと。


話に言及していく。

母には自国の言葉や文化を子と共有することへの希望があって、けれども、異なる世界には異なる世界の文化があって、その両立の配分が難しい。

自分の文化を大切にするのは大事だと思うけれど、相手の文化を尊重して歩み寄ることも、その土壌で生活するならば大切なことだと思う。わかってほしい理解されたいと望むなら、自分も理解してわかろうとしないと、誰とも歩み寄れない。

それに、大人に世界を区切られる子どもがいるならば、大人はせいいっぱいの配慮をしてあげなければ辛いだろう。


だからといって、この話に出る母と息子、どちらが悪くてどちらが正しいなんてことは一切言わない。どちらの気持ちも、理由は異なれど全くわからない気持ちではないからだ。

特に、後半、母親から手紙を託されるのだけれど、その母の半生を読んで、最後の痛切なつぶやきをなぞると、とにかく辛い。母親とは、母親であるまえに、一人のひとであることをしみじみと感じる。


それ故の息子の後悔も。幼い頃に親を傷つけた事実が、未来の自分もやがて傷つけた。けれどいなくなった人には許してもらえないし、謝れないから、どうやって抱えて、解消していくのだろう。

『友情』武者小路実篤 純文学/友情と恋愛に迷う

[純文学]

新潮文庫 む-1-1 平成2年5月30日 108刷

131ページで、厚みは1センチない。会話文はわりかし多い。読書に慣れていれば3時間前後で読み終わる。


[キーワード]

友情、恋、結婚

[私的なキーワード]

誠実、葛藤、神聖化

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ざっくりあらすじ

かけだしの脚本家である野島は、友人の仲田の妹で、写真でみた杉子に美しさと清さを感じ好意を抱く。劇場で出会い、交流を重ねていくと恋心は激しさを増し、野島は杉子のことで怒り焦り喜びと、一喜一憂するようになる。

その心の内を包み隠さず話せるのは、野島の良き理解者である親友の大宮だった。

その大宮は野島の恋を応援し、皆で鎌倉に集まった際にも杉子と二人きりにするよう努めるなどしてくれる。しかし、野島は杉子の視線に大宮への何かを感じとり、不安に思う。杉子は大宮をどう思うのだろう。野島をどう思うのだろう。


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感想


野島が杉子に惚れ込んでいく間での、その他の人物の恋に対するやりとりがとても冷静で面白い。たとえば前半、杉子の兄である仲田と恋の話をするけれど、仲田は野島とは正反対に恋を分析する。


『(省略)皆、自分のうちに夢中になる性質をもっているのだ。相手はその幻影をぶち壊さないだけの資格さえもっていればいいのだ。恋は画家で、相手は画布だ。(省略)』


恋の相手が理想の人である。そうではなくて、恋の相手は理想の人に違いない。この希望を透かしてみていると、あとから現実とのずれに悩まされるだろうと思う。悩まされたとき、果たしてどう修復するかが実際には問題になるのではないかなと。


それから大宮の葛藤。

友人に対する誠実さとは、いったい何だろうと考えさせてくれる。

例えば同じ林檎を二人で欲しがったとき、すぐさま譲るのは一見、誠実かもしれない。けれど、どうして譲るのか、その理由を解くとまた違った事実が見つかるかもしれない。

友人の喜ぶのをみる方が嬉しいのか。友人を弟妹のようにみて譲ってやらねばと思ったのか。林檎をもらうにふさわしくない、と自身を卑屈にとらえて譲ったのか。


他に例えば、林檎が欲しいのに林檎をいらないというのは誠実なのだろうか。


答えはひとつきりではないに違いないから、考え出すと面白い。あの人との友情を、ふとみつめなおすきっかけになったりならなかったり。