読みたい本はどんな本?

読んだ本についての感想と、気分で選べるようにジャンル分けをできればなあと。

『わが悲しき娼婦たちの思い出』ガルシア=マルケス 海外文学/年の差の恋

[海外文学]
木村榮一 訳、単行本で127ページ。一人称が私。

[キーワード]
娼婦、誕生日、恋、ネコ

[私的なキーワード]
眉毛の繋がった眠る少女、愛と恋、恋愛と年齢

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ざっくりあらすじ

90歳の誕生日に若い未通の娘を愛そう。そんな決定と、馴染みの娼家に久し振りに連絡をしてなんとかあてがってもらった14歳に届かないだろう少女は、薬の効能で深く眠っていた。
私は少女をただ眺め、歌を歌って、願いが遂げられないとわかり眠った。もう会わないつもりで、娼家の主人の誘いも断ったが、けれど結局二度と会い、三度と会いにいく。素敵なプレゼントを持ち、眠る少女の側で本を読んでやった。

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感想

正直、書き出しが露骨に少女を欲の対象にすることを指すので眉をひそめたのだけれど、読み進めれば2人の不思議な関係に引き込まれた。

眠る少女に語りかける翁。

子や孫への愛情のようにも読めたけれど、家の中での日常を想像している場面では恋人、越えて妻への愛情にも見えた。

面白いのが、この少女、デルガディーナは一度も喋らない。起きるのでさえたった一度である。加えて、美しい、という描写はなく、

『傲慢そうな鼻、つながった眉毛〜。それを見て、闘牛の若い雄牛みたいだな、と考えた。』

と描写される。冒頭に引用される川端康成の「眠れる美女」とは、タイトルからして異なる少女である。

そのデルガディーナの意思を伝えるのは娼家の主人だけなので、果たしてどこまで本当にデルガディーナが思ったことなのか、怪しみながら読み進めてしまった。なので、物語の最後も、晴れやかなのか暗雲立ち込めるのか、なんとも。

『四畳半神話大系』森見登美彦 一般文芸/並行世界

[一般文芸]
角川文庫 平成20年3月25日 初版発行
397ページ。2センチほどある厚めの本。文章もぎっしりだが、軽快なストーリーなので読書に親しみ始めたばかりでも読みやすいかと。

[キーワード]
並行世界、大学生、京都、恋

[私的なキーワード]
悪友、もしもへのアンサー

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ざっくりあらすじ

大学の三回生である私は思い描いたキャンパスライフから遠く離れて、ひっそりとぼろぼろの四畳半に住んでいた。来客は悪友の小津ばかり。

もしも、大学一年時に今の所属以外の選択肢を選んでいれば、バラ色のキャンパスライフがあったに違いない。私は今の境遇を悔やみそんなことを思ってしまう。一年時にあった選択肢は四つ。

映画サークル「みそぎ」
「弟子ム」のチラシ
ソフトボールサークル「ほんわか」
秘密機関〈福猫飯店〉

このうちのどれを選んでも関わりある人間関係があり巻き込まれる騒動があり、最終話、80日間己の四畳半をひたすら彷徨う中で、私は自身の考えと向き合い始める。

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感想

『もしもあのときああしていれば』というのは誰しも一度くらい思ったことがあると思う。その後悔に対して、実にコミカルに『さあそれはどうかな?』と返している。

けれど痛烈な皮肉ということは全くなくて、奇想天外な行動を起こす登場人物たちが見ていてとても面白く、似通う設定の四つの話を飽きずに読める。

特に最終話の四畳半の冒険はすごい。扉を開けども開けどもその先はまた自分の四畳半。窓の向こうも四畳半。
彷徨った先で壁を壊すという暴挙に出てもまた同じ四畳半。

主人公の語り口調が面白いながら、ひしひしと絶望もしっかり感じるし、当然にあったものへの恋しさが切々と伝わってくる。この最終話で主人公か葛藤し見つける感情こそが、おそらく全話にあった『もしも』に対するアンサーなのだろうなと思った。

それから。移動があって無いような四畳半という空間を舞台にして飽きさせずに読ませるのは、森見さんのすごいところだと思った。


以下、ものすごく気になったくだらない点を挙げる。

四畳半の移動の際、遭難の際に部屋にあった物質も変わらず存在する法則を発見し、幸運にも千円札が無限増殖する錬金術を発見する。
でも、同じものが無限増殖するわけだから、お札の通し番号が同じということで、大量に一気に使ったら非常にマズイのではと思いました。まる。

『みずうみ』川端康成 純文学/追跡

[純文学]
厚みは1センチとない。純文学になれていれぼ、6時間あれば十分読み切れる。

[キーワード]
みずうみ、美人の後をつける、醜い足

[私的なキーワード]
コンプレックス、失ったものを求める

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ざっくりあらすじ

銀平は、美女を見かけると跡を追ってしまう性癖があった。かつては教え子であった久子の跡をつけ、それをきっかけに恋仲となり、最後には職を失っている。

その後も銀平は懲りずに、街中で見かけた美人を追い、水色のハンド・バッグを顔で受け止める。犬の散歩途中の少女の跡を付けて、再び会うために道端の溝に潜む始末。

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感想

艶かしいとか、あやしいとか、そういう強い明確な言葉が当てはまらなくって、なんだかぞわぞわするような、白昼夢に当てられたような、不思議な心地がずっと続いた。

最初の方では美しい女性の跡を追うにしても割りかしあっさり記述されていたけれど、中盤、少女の跡を追うあたりはどっぷりと異様さを増す。

カバンを顔で受け止めた際には、女性の住所等を手に入れても処分した。後から多少悔やんだけれど、また同じ場所でその人を探そうとはしない。

けれど少女の場合は、溝に隠れたり、気づかれぬよう彼女の鞄に蛍の入ったカゴを引っ掛けたりと、積極的に関わっていこうとする。彼女の恋人を見ても、逢引現場で二人を眺め、挙句には彼に声をかける。その話しかけ方も、少し不審な内容であるから、突き飛ばされる始末。

その理由と言えるような過去の出来事が合間合間に呼び起こされ、最終盤では過去の大きな悪行もあかされた。

あとはコンプレックス。

自分の足にコンプレックスがあって、醜いと恥じているのが、三島由紀夫金閣寺を思い出させた。

『失われた足跡』カルペンティエール 海外文学/時代を遡る

[海外文学]
ラテンアメリカの文学 集英社 1984年8月15日 第1刷発行
2段組で237ページ。

[キーワード]
足跡、音楽、文明

[私的なキーワード]
時代を遡る、自分勝手
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ざっくりあらすじ

音楽を生業にする私は、かつての恩師からインディオの楽器を見つけ出して欲しいと依頼を受け、半ば無理やり旅に同伴する形になった愛人のムーチェと都会を発つ。
道中の山道で具合を悪くしていたロサリオを加え、私は困難を乗り越えながらジャングルを奥へと進む。それは、都会から未開の地へと距離を移動するだけの旅ではなく、現在から過去へと遡る旅であった。

先行者に導かれ、私はなんとか楽器を手に入れる。しかし、旅はここで終わらずに、先行者が周囲には秘密にしていた大きな秘密を、その先に教えてもらうのであった。

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感想

失われた足跡というタイトルから、足跡がキーワードであることは間違いないと検討をつけて読み進めた。気がつけた足跡を伴う文章は、どれも不穏な状況だった。

一つ例を挙げると、鉱脈を教えられた男の場面。男、ヤネスは『貧欲で、嘘つきで、まるで動物がしっぽで自分の足跡を消しながら歩くように〜』と表現される。

物語の終わりでは、直接的に明示はされていないが、主人公は『〜まさしくその歌のために一度来た道を引き返すことになり、もはやどんなに深く嘆いても、ふたたびもとの境遇に戻ることはできないのである』と述懐する。
一見、元来た道を引き返すのは残った足跡を辿るようにも見えるけれど、戻った手段が極めて例外的なうえ、同じ道を辿っていないから、引き返す上で違う道を進んだと捉えたほうが適切である。

時代を通り抜けたという点に関しては、これは川の流れに逆らうことと同義だと思うので、足跡を辿っているわけではないと判断した。

以下、結末を言ってしまう。

足跡は消されるものであり、元来た道を辿ることはできない。だから、主人公が、「きっと戻る」と村に残したロサリオをに誓ったが、川の水位は上がって同じ道をたどれなかった。元来た道が辿れないから、元の状況にも戻れなかった。

全体の感想としては、まったくその通りだと思った。いつでも自分のために、同じ状況が残されているはずがない。変わるものの中で、あなたは変わらないでとこい願うのは、とても利己的なのかもしれないと思ったし、そもそも、そんな願いは叶わないものだと思った。

『一月一日』永井荷風/純文学 当たり前

[純文学]
電子書籍。11p。15分とかからない。

[キーワード]
一月一日、日本食嫌い
[私的なキーワード]
夫と妻、嫌いの理由、悲劇
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ざっくりあらすじ

一月一日の夜、アメリカ支店の日本人銀行頭取の家では、妻君も手伝って日本料理が振舞われ、日本人紳士達のホームシックを慰めていた。

そんな場の盛り上がりの中で、金田という一人の男の話になる。銀行勤の金田は周囲と異なり日本食嫌いで、日本酒、米料理がまったくだめ。日本料理が振舞われる宴会には決して顔を出さないという。

周りからは非難の声が上がるが、先日、金田と食事を共にした男が、金田をあまり責めないでほしいと、その日本食嫌いの理由を語る。
それは、彼の厳格な父と、父の厳格さに従っていた母にまつわる話であった。

男が語り終えるとあたりは静まり、頭取の妻のため息だけが響いたのであった。

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感想

一月一日といえば、目出度いとか賑やかなものばかり取り上げられがちだが、この話はまったく正反対である。けれども、一年の始まりに身につまされる話ではあると思う。

金田の父は何につけても拘りからの小言が絶えない人だった。味噌汁の匂い、沢庵の切り方。

『〜其れも時には礼の一ツも云われゞばこそ、何時も料理と同じ行き届かぬ手抜りを見付出されては叱られておられた』

こんな具合である。
良いところを褒めず、悪いところは重箱の隅をつつくように責められてはたまったものじゃないだろう。

ここではたまたま、夫と妻の関係として書かれているけれど、決して他の関係に当てはまらない話でもないはずだ。身近な関係になればなるだけ、感謝をすることを忘れがちだ。

親子、兄弟、友人、恋人。

いつも何かをしてくれる人に対して、感謝どころかそれを当たり前として受け取って、何につけても小言を言う。それでどうして良好な関係が築けるだろう。

一年のはじまりにこそ、この話を読んでみるのもいいかもしれない。

『秘密』谷崎潤一郎/純文学 変身願望

[純文学]
筑摩書房 21p 会話文はほとんどない。文体は難しくないので、読書に慣れていれば30分あれば読み終える。

[キーワード]
秘密、探偵小説、汽船の女
[私的なキーワード]
変身願望、町名
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ざっくりあらすじ

ある気まぐれな考えにより友人知人から離れ、一人寺の庫裡に身を置く私は、探偵小説を好み、奇怪な説話と挿絵に富んだ書物を愛読していた。つけ髭やつけぼくろで様子を変えて、酒を煽って夜中に出歩いていたのであるが、そのうちには、肌を白く塗り頭巾をかぶり、女のふりをして夜の外出に赴くようになる。

私は次第に、様々な人の視線を惹きつける楽しみを覚え、出歩くに止まらず、店にも繰り出すようになる。
そうして劇場に赴いた際、偶然に隣席に座った男女の、その女の美しさに嫉妬を覚えた私は、そこで女の顔に見覚えがあることに気がついた。それは、昔、汽船の上で別れた女であった。

私は女に再び激しく惹かれ、着物の袂に会いたいと思いを綴った文を投げると、女は果たして私に答えてくれるのであった。


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感想

不思議や秘密といったことに主題が当てられていて、冒頭ではそういうものに主人公が惹かれるようになる理由が書かれている。その理由が、とても共感のいくものである。

主人公には幼い頃によくいっていた寺があるのだが、何遍と寺に通っていたのに、ずっとその寺の正面しか知らず、その後ろの町を知らなかった。ある時、父親に連れられて、初めて裏側の町並みを見ることになる。

それが、不思議な世界に迷い込んだように思えだのだ。

確かに、よく通うのに行く場所なのに、その背後を知らないというのはある。
通い慣れた家までの道なのに、一つ角を折れた道はまるっきりしらなかったり、数十年と住み続けた町の、駅向こうを全く歩いたことがなかったり。

日常の隣にあるしらない世界だからこそ、なおのこと不思議に思うのだろうなあと。

そうして主人公は、その不思議を愛するがゆえに不思議な女を愛するのだけれど、この女がいじらしい。

主人公が自分のことを、秘密を含めて好意を持っていることを知っているのだ。そのために、自分の元に直接に来させることはせず、俥
にのせて回り道をさせて、目隠しをして家まで連れて行く。不思議な女であるために。

この不思議さは最終的に、秘密をあばきたてんとする主人公と、女の気の緩みで立ち消えてしまい、主人公の女への好意も同じに消えてしまう。

しかし何故、主人公は不思議を愛するのに秘密を暴こうとしたのだろう。探偵小説の主人公という、非日常の人物になることで、不思議な世界に入り込んだためだろうか。
それから、もしも女が最初から住処を隠したりせず、普通に連れて行っていれば、二人の関係はどうなったのだろう。

秘密というのは確かにあれば人を惹きつけるが、ばれる恐怖がある。ばれた際の興醒めもある。
秘密込みで好意を持ってもらったって、とくに住処という秘密なんて永続し得ないものなのだから、はじめっから別の、隠しやすい秘密を用意していたらまた違う結末だったのかなあと思った。

作家の通った店『銀座カフェーパウリスタ』/菊池寛 等

読書感想と並行して、作家の通ったお店に行った感想も綴っていきます。

初めはパウリスタ

銀座にあるお店で、公式サイトによれば菊池寛芥川龍之介谷崎潤一郎から森鴎外まで通ったとのこと。

休日のお昼過ぎに赴いて、店内は混み合っていた。偶然、すんなり席につけたけれど、あとからお客さんが訪れては待つ列を成していた。

その合間、多くの人がカメラを構えてお店の外観を撮っていた。

店内は昔ながらが色濃く残っていた、と思う。実は訪れたのはだいぶ前のことで、記憶を掘り起こしながら書いている。

加えて、当時は作家が訪れたなんて知りもしなかったから驚いた。実はそういうお店はいくつかある。

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サンドイッチとザッハトルテ、それにコーヒーを頼んだけれど、これが本当に美味しかった。
特にザッハトルテが好みで、程よい甘さに生クリームと良くあってたまらない。
ザッハトルテを食べに、また訪れたいと思った。